アルフレッド・リードの伝説  〜REED LEGEND〜
第6回 《春の猟犬》におけるcueの研究

by 富樫鉄火(音楽ライター)

 おそらく、《アルメニアン・ダンス》や《オセロ》などと並んで、リード作品で最も人気があると思われる、序曲《春の猟犬》。

 この曲の「原案」については、かつて、シエナWOのメルマガや、プログラム解説などで書いたが、簡単に復唱しておく。

 よく、この曲の解説に、イギリスのスウィンバーンが書いた「春の猟犬」という詩に、リードがインスパイアされて作曲した…という主旨の記述があるが、それは正確ではない。

 19世紀末のイギリスの詩人、アルジャーノン・C・スウィンバーン(1837〜1909)が書いた『カリュドンのアタランタ』なる詩劇があり、その中のコロス(合唱詠)部分の一節に、リードが感銘を受けて、吹奏楽曲にしたのである。

 で、その部分の冒頭が「春の猟犬たちが、冬の轍の上を行く季節になると…」で始まるので、曲名も《春の猟犬》となったのだ。

 文字通り、冬の終わり、雪解けの中を、猟犬たちが元気に突き進む様子が詠われている。目前に迫った春の訪れを描いた詩であり、リードの音楽も、全編が明るくて美しいムードに支配されている。

 初演は1980年。ちなみに、その2年後、リードは再びスウィンバーンの詩を音楽化している。《プロセルピナの庭》と題する「交響的牧歌」がそれだ。ここでは、スウィンバーンの『詩とバラッド』の中の一編をもとにしている。よほどリードは、この詩人が好きだったのであろう。

 ちなみに、我らが夏目漱石も、ロンドン留学時代にスウィンバーンを研究しており、漱石自身が書き込みをした『カリュドンのアタランタ』や『詩とバラッド』原本が今でも残っていることは、以前に述べた。

■大型バンドでないと演奏できない?

 話は変わるが、時々、小〜中編成しか組めない(つまり、人数や楽器が少ない)バンドが「リードの曲って、一度やってみたいんだけど、うちは、人数(楽器)が少ないから、とても無理で…」とボヤいているのを聞く。

 その典型が、人気曲《春の猟犬》で、確かに、スコアを見ると、基本的な最低編成の枠を超えて、オーボエ1・2、イングリッシュホーン、バスーン1・2、コントラバスーン、コントラバス・クラリネット、コルネット1・2(トランペット1〜3の他に)などが指定されている。小〜中編成のバンドにとっては、ちょっと厳しい編成だ。

 特に、上記のうち、スコアに「optional」(=可能であれば入れる)と書かれた楽器はコントラバスーンのみなので、オーボエが1本しかなかったり、コルネットまで人数が回らないバンドにとっては、演奏不可能に思える。有名な中間部のなめらかな旋律は、イングリッシュホーンのために書かれているので(ホルン1・2がユニゾンで重なるが)、この楽器がないと致命的にも思える。CDで、プロやトップバンドが演奏しているのを聴くと、イングリッシュホーンやコルネットの音色が高らかに聴こえるので、ますます「出来ない」と思い込んでしまう。

 リード自身、かねてより、楽器編成や演奏者数に関しては、かなり厳格な考え方でスコアを書き上げているだけに、なおさら、そんな気にもなる。

 だが、《春の猟犬》のフルスコアを詳細にご覧になった方であればご存知だろうが、この楽譜は、あちこちが「cue」(キュー)だらけなのである。

 cueとは、本来、その楽器が休止中、他パートの旋律音符を小さく記入して、休止中でも、ほかでどんなメロディが鳴っているのかを分りやすく記した音符のこと。あまり休止が長く続いていると、曲のイメージが分らなくなるので、親切心で記入される小音符だ。

 だが、吹奏楽曲の楽譜に書かれたcueには、もうひとつの意味もあって、つまり、もし、他パートの楽器がない場合は、cueを演奏すれば、その代理がつとまる…のである。

 上述の例で言えば、《春の猟犬》中間部、ゆったりした4拍子になった部分で、イングリッシュホーンとホルン1・2がユニゾンで美しいメロディを奏でる。後半部で再登場する、重要な旋律である。

 この部分のフルスコアを見ると、同じ旋律が、アルトサックスに(ちゃんと移調されて)、cueで記入されている。イングリッシュホーンがない場合は、アルトサックスが奏でるようになっているのだ。

 また、中間部ラストでは、オーボエ1が、曲調の変化を導く、たいへん重要な短いソロを奏でる。この部分でも、オーボエと同じ旋律が、B♭クラリネット1と、コルネット1に、cueで記入されている。オーボエがない場合は、B♭クラかコルネットで代用できなくもないのだ。 このように、《春の猟犬》は、全編に、実に親切丁寧にcueが書き込まれている。それらを総合するに、cueを活用すれば、オーボエやイングリッシュホーンなどなくても、十分、演奏できるようになっているのだ。

 そのほか、バスーンやコントラバス・クラリネットなども、詳細にスコアを見れば、同じ低音を、ほかの楽器が一緒に演奏するように書かれているので、ナシでも何とか演奏はできそうだ。

■cueから感じること…

 誤解しないでいただきたいのだが、私は「正式な楽器編成が組めなくても、リード作品は演奏できる」と言っているのではない。「指定された楽器がないなら、他で代用してしまえ」と主張しているわけでもない。

 音楽は、あくまで作曲家が指定した楽器・奏者数で、キチンと演奏されることが大前提であることは言うまでもない。

 だが、吹奏楽なるジャンルが、アマチュア中心で発展していることを考えた時、楽器や演奏者数が十分でないバンドは、数多く存在する。特に、小子化傾向にある今後は、その種の悩みを持つバンドはますます増えるだろう。世の中の吹奏楽部は、どこも、「笑ってこらえて」に出てくるような大型バンドばかりではないのだ。

 そうした時に、これほど有名で、楽しく、しかも技術効果の向上テキストとしても十分な作品を「演奏したい」と願うメンバーがいるのに、指をくわえて我慢しているなんて、あんまりな話ではないだろうか。

 リード作品は、80年代以降、スコアの中にcueが目立つようになってくる。もしかしたら、それらは、リード自身が記入したcueではなくて、出版社の編集者が、親切心で加えたものかもしれない(だとしても、当然、作曲者の了承は得ているはずだ)。

 かようにcueが増えたということは、それだけ、世の多くのバンドがリード作品を演奏したいと望んだ結果なのではないだろうか。そして、リードや出版社が、その要望に何とか応えようとしたのではないだろうか。

 1月のシエナWOの定演でも、もちろん、この曲は演奏される。また多分、聴きながら、cueが浮かんで、私は、リードの優しい姿勢を思い浮かべてしまうことと思う。

(つづく/敬称略)

※本稿を執筆するにあたって、アルフレッド・リード著・監修/村上泰裕訳『アルフレッド・リードの世界』(佼成出版社刊)、ならびに、多くのリード作品のCDライナーノーツなどを参考にさせていただいております。略儀ながら、御礼申し上げます(富樫)。

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