アルフレッド・リードの伝説 〜REED LEGEND〜
第4回 リードとシェイクスピア 「オセロ」を中心に
アルフレッド・リード(1921〜2005)は、シェイクスピア戯曲を題材にした吹奏楽曲を、5曲書いている。
《ハムレットへの音楽》(1971年初演)…原案『ハムレット』《オセロ》(1977年初演)…原案『オセロ』《魔法の島》(1979年初演)…原案『テンペスト』《十二夜》(2003年初演)…原案『十二夜』《アーデンの森のロザリンド》(2004年初演)…原案『お気に召すまま』 こうして発表順に並べてみると、明らかな傾向に気がつくはずだ。
リードは、人生を重ねるに従って、重い内容の悲劇から、明るい喜劇に題材を移しているのである。
■ヴェルディとの共通点
音楽史上、シェイクスピアに魅せられた作曲家は、枚挙に暇がない。
その中でも、ヴェルディ(1813〜1901)の入れ込み方は、尋常ではなかった。《マクベス》《オテッロ》【注1】《ファルスタッフ》の3本をオペラ化し、いずれも、舞台音楽史に残る傑作に仕立て上げている。
そのヴェルディが、最後にたどり着いた作品(遺作)は喜劇オペラだった。『ウィンザーの陽気な女房たち』と『ヘンリー!)世』を原案とする《ファルスタッフ》である。
「晩年は、衰えて、重々しい悲劇は、書けなかったのだろう」と、つい思いがちだ。だが、このオペラは、確かに喜劇だが、どう考えても、70歳代半ばの隠居老人が書いた音楽とは思えない(当時、ヴェルディは、作曲家を引退していたのだ)。
若々しく、生き生きとした音楽、そして何よりも、ラストで、全員が一同に会して壮大なフーガを歌いまくる<この世はすべて冗談さ>は、その緻密な音楽構成と展開において、いまだに誰も超えることのできない、オペラの名場面として伝わっている。この作品が「音楽と演劇(セリフ)が完全に一体化した舞台芸術」と称される所以だ(だから、このオペラには「アリア」のように、独立して演奏できる部分がほとんどない。他の傑作群に比して、耳にする機会が少ないのはそのせいなのだ)。
ヴェルディが、暗くて陰惨な《マクベス》を皮切りに、激しいドラマツルギーに支配された《オテッロ》を経て、最後に、明るい《ファルスタッフ》に到達したのを見れば、リードがたどった流れに、どこか似たものを感じるのは筆者だけではないだろう。
ヴェルディもリードも、最後に行き着いたシェイクスピア世界は「喜劇」だったのだ。
■暗さが衝撃的だった《ハムレットへの音楽》
リードが初めてシェイクスピアに挑んだのは、1971年。《ハムレットへの音楽》だった。
前回、リードは《ジュビラント序曲》で1970年代の幕を開けたものの、時代は(特にアメリカは)不安な空気に包まれ始めた…と述べた。
1971年に、世界中で起きた「不安」な出来事を列挙すれば…。
パキスタンと東パキスタンの対立が激化、「バングラデシュ人民共和国」が建国。 第3次インド=パキスタン戦争。 ニクソン「ドル・ショック」(金・ドルの交換停止)。 中国で林彪がクーデターに失敗、墜落死。中国が国連に加盟し、台湾は脱退。 カンボジアでクメール・ルージュとの抗争激化。 アラブ首長国連邦が建国。 ソ連のフルシチョフが死去。 音楽では、ストラヴィンスキーが死去。
このような状況下、リードは、ノースダコタ州で開催される「3州合同音楽祭」から委嘱を受けた。それが《ハムレットへの音楽》だ。
初演は、1971年11月、上記音楽祭のクロージング・コンサートにて、作曲者自身の指揮、ディキンソン州立大学バンドの演奏で行われた。
おそらく、初演で冒頭を聴いた聴衆は、ショックを受けたのではないだろうか。今までの明るい、華麗なリード・サウンドではなく、暗い激しい響きに満ちていたのだから。
冒頭は、舞台となる宮中の不安げなムードを描写しており、確かに原案戯曲にしてからが、そのような開幕なのだから、それも当然なのだが…。
そもそも『ハムレット』は、主要登場人物のほとんどが死んでしまう、救いのない暗さに満ちた戯曲である。しかし、その一方で、人間の愚かさや、権力欲の虚しさが見事に描かれている。主人公ハムレットは、(一応)ノイローゼ状態であり、それは、昨今よく話題になっている「うつ病」や「引きこもり」を思わせる、極めて現代的な解釈が可能な作品でもある。
リードは、シェイクスピア戯曲を音楽化しながら、どこか、1970年代初頭の、不安げな社会のムードを、うまく描いていたように思えるのだ。特に第4楽章<エピローグ〜ハムレットの死>における重厚で深みのある暗い表現は、吹奏楽の世界に、新たな表現方法の可能性をもたらしたと言っても過言ではない。
■金管アンサンブルが原曲の《オセロ》
《ハムレットへの音楽》で、深遠な世界を表現することに成功したリードは、1974〜77年にかけて、再びシェイクスピアに挑んだ。それが、リード最高傑作のひとつにも数えられる《オセロ》である。2006年1月、神奈川・横浜みなとみらいホールで開催されるシエナWO第20回定期演奏会(リード特集)でも、演奏が予定されている。。 1974年、リードは、マイアミ大学のリング劇場から、舞台上演『オセロ』のための劇付随音楽(いわゆる劇伴音楽)の委嘱を受けた。当時、リードはマイアミ大学教授であり、同大学の演劇学部の学生が上演する舞台のための音楽を依頼されることは、当然といえば当然だった。依頼者の脳裏に、《ハムレットへの音楽》があったことも、想像に難くない。
この時リードは、16人の金管楽器奏者と3〜4人の打楽器奏者を要する、14曲の劇判音楽を書いた。
のちにリードは、この14曲を5曲に圧縮改訂し、《金管楽器と打楽器群のための「オセロ」からの音楽》なるタイトルの組曲にまとめた。これを、さらにコンサートバンドのために拡大改訂したのが、現在、我々が聴く《オセロ》なのである【注2】(このアンサンブル組曲版は、クラヴィーア・レーベルからCD化されている)。
吹奏楽版の初演は、1977年。ニューヨーク州のイサカ大学バンドが、リード自身の指揮で行った。スコアは、同バンドのディレクターであった、ワルター・ビーラー【注3】に献呈されている。
前作《ハムレットへの音楽が》全4楽章構成だったのに対し、《オセロ》は全5楽章。その音楽的パワー、充実度は、《ハムレットへの音楽》を大きく凌駕した。足かけ4年をかけて、劇判音楽→「金管+打楽器アンサンブル」組曲版→吹奏楽版と、十分熟成する期間があったせいかもしれない。
だが、この作品が傑作になった理由は、それだけではなかった。実は、リードの《オセロ》は、ヴェルディのオペラ《オテッロ》にインスパイアされた部分が、かなり強いのだ。
■ヴェルディからの影響
《ハムレットへの音楽》が、楽章ごと、原案戯曲のおおまかな場面やムードを題材にしているのに対し、《オセロ》は、かなり具体的に「第○幕第○場」や、人物名、セリフを特定して音楽化されている。それらは、スコアの各楽章冒頭に、明快に記されており、つまり…
*第1楽章《前奏曲(ヴェニス)》…オセロの名演説「石を枕に戦ってきた私には、戦場こそ羽毛のベッドなのです!」(第1幕第3場)。
*第2楽章《暁のセレナーデ(キプロス)》…明け方、副官キャシオーが、オセロの寝所前に楽隊を連れてきて目覚めの音楽を演奏させる。そして、楽隊に向かって「おはようございます将軍、とちゃんとご挨拶するのだぞ」と注意する(第3幕第1場)。
*第3楽章《オセロとデズデモーナ》…オセロがデズデモーナとのなれそめを告白する名セリフ「私の過去の苦難を彼女は哀れんでくれた、だからこそ私は彼女を愛したのです」(第1楽章と同じ場面)。
*第4楽章《議官たちの入場》…ヴェニスから到着した議官たちの目前でオセロがデズデモーナを殴り、場は大混乱。それを見ていた悪漢イヤーゴが「あれがヴェニスの獅子か!」と嘲笑する(第4幕第1場)。
*第5楽章《デズデモーナの死/終曲》…デズデモーナを絞殺した直後、真実を知り愕然となるオセロ。遺体の前で「今、俺にできることはキスしながら死ぬことだけだ」と自害...(第5幕第2場)。
もともとが、舞台上演の劇判音楽だったのだから、このように、具体的な場面・セリフが題材となっているのも当然なのだが、ただ、上記・第4楽章の、イヤーゴによる「あれがヴェニスの獅子か!」のセリフは、原作にはない。つまり、この部分だけは、シェイクスピア原作ではなく、ボーイト台本=ヴェルディ作曲のオペラが原案なのである。
アッリーゴ・ボーイト(1842〜1918)なる人は、ポーランド系イタリア人の作曲家である。《メフィストーフェレ》とか《ネローネ》とか、それなりにオペラも書いたが、たいしてヒットしなかった。だが、オペラ台本を書かせたら、超一流だった。何しろ、彼の墓碑銘には「ヴェルディの《オテッロ》《ファルスタッフ》の台本作家」と刻まれているほどなのだ。
そのボーイトが書いた、オペラ《オテッロ》の台本は、あらゆるオペラ台本の中でも傑作中の傑作と呼ばれている。原作の複雑な人間関係をうまくカット凝縮し、本質テーマのみを抽出した手腕に、「シェイクスピア原作より優れている」という人さえ、いるほどなのだ(逆の評価をする人もいるが)。
特に、イヤーゴの妖計にはまって我を失ったオテッロがデズデーモナを衆人環視の中で殴ってしまい、イヤーゴが高笑いする第3幕のラスト部分(原作戯曲の第4幕第1場)は、次の幕で起こる最終悲劇をうまく予感させる構成になっていて、見事としか言いようがない。
リードは、この「あれがヴェニスの獅子か!」という、ボーイトが創作したセリフに感動し、音楽化したのである。要するに、シェイクスピア原作のみならず、ボーイト=ヴェルディのオペラに共鳴して吹奏楽曲をつくりあげたとも言えるのだ。
■ワーグナーの影響
オペラ《オテッロ》が、いかにすぐれた音楽であるかは、改めて述べないが、ひとつだけ説明しておきたい。それは、《オテッロ》は、ある意味、ワーグナーの影響下に書かれたオペラであることだ。もちろん、ワーグナーの書法を取り入れたとか、参考にしたとか、そんな単純な話ではない。
同じ1813年に生まれ、イタリア・オペラとドイツ・オペラの改革〜発展〜完成を成し遂げたこの2人は、何かとライバル視されていた。しかし、泰然自若の人生を歩むヴェルディにとって、ワーグナーは、どうでもいい存在だった。
ただ、1869年にボローニャで《ローエングリン》を観たヴェルディの脳裏に、それ以後、ひとつだけ引っかかっていたことがあった。それは、「ワーグナーのように、切れ目のない、綿々と音楽が流れるオペラが、イタリア・オペラで可能かどうか」だった。
イタリア・オペラは、アリアや重唱の集成で出来ている。切れ目部分では、拍手やブラヴォーが来る。しかし、ワーグナーには、それはない。幕が上がったら、降りるまで、音楽は途切れない。それによって、ドラマも途切れることなく流れる。これを、イタリア・オペラでもできないだろうかと、こっそり考えてた。
それを実現させたのが《オテッロ》なのだ。ついにイタリアにも、ワーグナーのようにドラマ優先で切れ目なく音楽が流れるオペラが誕生したのだ。
リードがワーグナーを敬愛していたことを考えた時、これは奇妙なつながりのようにも思える。リードの《オセロ》が、あれほどパワフルで劇的要素に満ちた音楽になった陰には、ボーイトやヴェルディ、さらにワーグナーの存在があったとも言えるのだ。
■もし6作目があったら…
このあとリードは、1980年に、《オセロ》の時と同じくマイアミ大学リング劇場のために、悲喜劇ファンタジー『テンペスト』の音楽を書く(曲名は《魔法の島》。単一楽章)。
その後しばらくシェイクスピアからは遠ざかり、2003年に『十二夜』(曲名同じ。全5楽章)、2004年に『お気に召すまま』による《アーデンの森のロザリンド》を発表する(5分ほどの小品)。
最後の2作品は、ともに明るく楽しいコメディ芝居である。
不安な時代に後押しされながら、『ハムレット』『オセロ』という本格悲劇から始まり、『テンペスト』を経て、最後は、喜劇の『十二夜』『お気に召すまま』に至ってこの世を去って行ったリード。
私は、リード自身と親しかったわけではないが、晩年、ステージでの指揮姿や、レセプションで接する飄々とした様子からは、まさしくヴェルディ同様、酸いも甘いも噛み分けて、人生の達人に至った雰囲気が感じられた。そんなリードには、シェイクスピア喜劇こそ、人間社会の皮肉をうまく映し出してくれる素材だったのではないだろうか。
もしリードがさらに生きて、6作目のシェイクスピアに挑んだとしたら、何を題材にしただろう。どうも筆者は、『ウィンザーの陽気な女房たち』のような気がしてならない。そう、ボーイト=ヴェルディが《ファルスタッフ》と題してオペラ化した戯曲だ。だって、オペラの最後は<この世はすべて冗談さ>なのだから。
(つづく/敬称略)
【注1】原案『Othello』は、通常の日本語表記(英語読み)だと『オセロ』だが、ヴェルディ版はイタリア語であり、タイトルもイタリア語で《Otello》なので、日本語表記も《オテッロ》にした。同様主旨で「デズデモーナ」は「デズデーモナ」と表記した。
【注2】海外での解説には、劇判音楽→吹奏楽版→(原典にかえって)金管+打楽器アンサンブル版の順でまとめられたかのように書いているものもある。どちらが正確なのかは、本稿執筆時点では確認しきれなかった。ご存知の方がおられたら、ぜひご教示いただきたい。
【注3】ワルター・ビーラーは、バーンスタイン《キャンディード》序曲の編曲者としても知られている。同曲の吹奏楽版は、近年、グランドマン編曲版が有名だが、最初に編曲したのは、このビーラーだった。ちなみに、東京佼成ウインドオーケストラが録音しているのがビーラー版(フェネル指揮)。シエナ・ウインド・オーケストラがCD『ブラスの祭典2』で録音しているのがグランドマン版(佐渡裕指揮)である。
※本稿を執筆するにあたって、アルフレッド・リード著・監修/村上泰裕訳『アルフレッド・リードの世界』(佼成出版社刊)、ならびに、多くのリード作品のCDライナーノーツなどを参考にさせていただいております。略儀ながら、御礼申し上げます(富樫)。

