第4回 第1次世界大戦をはさむ、2つの名曲
ドビュッシー(1862〜1918)とラヴェル(1875〜1937)をまったく同列に論じることは無茶な話だが、それでも、印象派のほぼ同時代に、フランスで活躍したという点では、見事に共通している。
だが、この2人に共通する点は、ほかにもある。ともに「病もち」だった。どうもラヴェルは、後年、脳障害に悩まされていたみたいだし、ドビュッシーに至っては、若い頃から病的な神経質で、やはり後年、直腸ガンにかかって、手術を受けたりラジウム治療を受けたりするが、ほとんど効果はなかった。
しかし、この2人を襲った「病因」は、それらよりも、「第1次世界大戦」という影の方が大きかったのではないか。
第1次世界大戦は、1914年から1918年にかけて、全ヨーロッパを覆った戦争で、ドビュッシーもラヴェルも、その中にどっぷり浸かって生きていた。
ドビュッシーの場合は、晩年、直腸ガンの手術を受けたものの、病後はかんばしくなく、痛み止めのモルヒネを常用し、半ば中毒になりった。まともな仕事ができず、安定収入もなかった彼は、ガリガリにやせ、廃人に近い状態になって、1918年、絶望のまま息を引き取っている。前年にはロシア革命が勃発し、大戦は完全に煮詰まっていた。ドイツ・オーストリアが降伏して戦争が終結したのは、ドビュッシーの死から、3ヵ月後だった。一説には、ドビュッシー自身、空襲の音を聞きながら、うなされるままに亡くなったとの話もある。
一方のラヴェルも、40歳という働き盛りの頃に第1次大戦が勃発し、イライラする毎日だった。後年にあらわれる脳障害も、戦争が引き金だったという説もあるくらいだ。そんな自分を鼓舞しようとしたのか、自ら軍隊に志願するが、輸送兵勤務程度の任務しか与えられず、しかも、身体をボロボロに傷めて帰還している。
今回、6月14日のシエナWO第19回定期演奏会(横浜みなとみらいホール)で演奏されるドビュッシーの《喜びの島》(真島俊夫編曲)は、1904年に作曲されたピアノ曲が原曲だ(のちに、イタリアの指揮者モリナーリによって、オーケストラ版に編曲されている)。
この頃は、まだガンも見つかっておらず、2番目の妻との間に子供が生まれる前年だったせいもあってか、この曲は、実に美しく、幻想的だ。ヴァトーの名画「シテール島への船出」にインスピレーションを得て作曲されたといわれている。この島は、女神ヴィーナスがいるところで、ここへ行けば、恋愛は成就するとの伝説がある。そんな題材を音楽化しただけあって、いわば、ドビュッシーが幸福だった最後の時期の曲ともいえる。
それに対し、ラヴェルのオーケストラ曲《ラ・ヴァルス》(天野正道編曲)は、1919年の作曲。時期的にラヴェル全盛期ではあるのだが、かの第1次世界大戦の終戦翌年に作曲されている。
そのことを思って聴くと、先の《喜びの島》が、文字通り「歓喜」がモチーフになっているのに比べ、《ラ・ヴァルス》の方は、一筋縄ではいかない、少々不思議な音楽であることがいっそう際立って感じられると思う。
曲自体は、古きよきウィンナ・ワルツ全盛時代へのオマージュであり(タイトルは、フランス語で「ワルツ」の意味)、それは、戦争以前の、平和できらびやかなヨーロッパへの郷愁とも言えるのだが、時折、不気味で不安な響きが混じる。もともと、バレエ音楽として書かれたのだが、あまりにも独特なので、いまでは、完全なコンサート・ピースとして演奏されている。
ここにあるのは、明らかに戦争に対する不安と、やがて来る、第2次世界大戦への予感だ。同時に、それは、ラヴェルの脳障害が、早くも音楽に影響を与えたかのようでもある。
この2曲をつづけて聴くと、まさに、第1次世界大戦の「前」と「後」が表現されていることが分るだろう。また、印象派2大巨匠の「病前」「病後」のようでもある。
ちなみに、《ラ・ヴァルス》を初演したのは、パリ最古のオーケストラ、コンセール・ラムルー管弦楽団である。名指揮者シャルル・ラムルーが創設したオーケストラだが、ここは、ほかにも、ラヴェルの《ボレロ》や、ドビュッシーの《夜想曲》(一部)など、そうそうたる名曲を初演している。
一時、鬼才指揮者マルケヴィッチが振っていた頃は、燦然とした輝きを放っていたものだが、その後、低迷。一時は解散説まで流れた。
しかし、いま、ある名指揮者を迎えたことで、定期会員も数倍に増え、パリで最も元気で人気のあるオーケストラになってしまった。
その指揮者の名は「佐渡裕」である。

