第2回 悲劇と哀愁に彩られた《アルメニアン・ダンス》の秘密【後編】
前回、「アルメニア音楽の父」と称されたコミタス(1869〜1935)のことについて書いた。
アルメニアで初めて西洋音楽教育を受け、以後、アルメニアの民謡収集・採譜に奔走したこと。しかし、隣国オスマン・トルコ帝国の虐殺を避け、国外に逃れたものの、精神と肉体の双方を病み、結局、寂しくパリに客死したことなど・・・。
*
コミタスの死から約30年後、アメリカ・インディアナ州で開催された、ある吹奏楽関係の会議の席上、デトロイトの高校でバンド・ディレクターをつとめていたハリー・ベギアン(英語読みだと、ハリー・ビジャン)が、作曲家アルフレッド・リードに、吹奏楽オリジナル新作を依頼する。
このベギアンという人は、その独特の名前の響きからも分るように、アルメニア系の人である。先述した、オスマン・トルコのアルメニア人虐殺の際、多くのアルメニア人が、国外へ脱出した。コミタスはフランスに逃れたが、アメリカに逃れた人たちも多かった。未確認だが、ベギアンも、その子孫ではないかと思われる。
リードは、コミタスが収集・採譜したアルメニア民謡を題材に、大掛かりな組曲を仕上げた。依頼者ベギアンが、アメリカにおけるコミタス研究の専門家だったので、様々な材料を提供したようだ。
この委嘱作品は、完成までにけっこう時間がかかった。約10年を要している(その間、ベギアンは、イリノイ大学バンドのディレクターになっていた)。
それが、有名な≪アルメニアン・ダンス≫である。シエナのサイトにおける自由曲人気投票で、見事、第1位に輝いた名曲だ。
*
リードは、この曲を全4部構成の組曲として計画した。
まず、第1楽章が、1973年、全米大学バンド指導者協会の総会で初演された。指揮は、もちろん、ベギアン。演奏は、当時ベギアンが指導していたイリノイ大学バンドがつとめた。
残りの3楽章は、1976年に同じ顔ぶれで初演され、この時、初めて全4部通しで演奏されている。
通常、≪アルメニアン・ダンス≫は、パート1、パート2と分かれているが、当初から全4部構成の予定だったので、「第1楽章(=パート1)、第2〜3楽章(=パート2)」でひとまとまりと見るべきである。ただし、パート2のみが単独で演奏される際は、その中の3つの楽章を、各々、第1〜3楽章として表記することが多い。
つまり、この曲は、第1楽章(=パート1)が約10分と長めで、第2〜3楽章(=パート2)が、各々、5〜6分という、少々いびつな構成になっているのだ。
これは、パート1とパート2で、出版社が違うことも関係しているかもしれない(パート1はサム・フォックス社から、パート2はバーンハウス社から、各々出版された)。
曲は、全編にコミタスが収集・採譜したアルメニアの民謡や舞曲がちりばめられている。
それらをすべて細かく紹介していては紙幅が足りないので、おおまかに曲名だけを紹介すると・・・。
【第1楽章】・・・「あんずの木」「やまうずらの歌」「おーい、僕のナザン」「アラギャズ山」「行け、行け」の5曲を中心に構成された、一種の狂詩曲。
【第2楽章】・・・「農民の訴え」
【第3楽章】・・・「結婚の踊り」
【第4楽章】・・・「ロリ地方の農民の歌」
通常、コンクールなどでアマチュアが演奏する際は、パート1抜粋か、第4楽章「ロリ〜」が圧倒的に多い。初演・発表時の1976年以来、ほぼ毎年、この曲を引っさげてコンクール全国大会に進出してくるバンドがある・・・それほど、日本でも、人口に膾炙した名曲になって、いまに至っている。
その見事な構成や、曲名どおり「ダンス」を感じさせる躍動感、アルメニア独特の哀愁に満ちた旋律などは、ぜひ、シエナの定演で、その耳で確かめていただきたい。
*
ところで・・・。
ここで改めて、前回紹介した、コミタスの生涯を思い出していただきたい。
オスマン・トルコの虐殺から逃れ、精神も肉体もボロボロになってこの世を去っていったコミタス。
彼が生涯をかけて取り組んだのは、母国アルメニアの美しい音楽を、この手で守り抜くことだった。そして、各地に散在する同胞に、それらを伝えることだった。 決して、派手な交響曲を書いたわけではない。カリスマ的な指揮ぶりで一世を風靡したわけでもない。あくまで「修道士」として、地道に、真面目に、生きた人だった。
そんな彼の残した業績が、いま、ベギアン&リードの手によって、吹奏楽曲≪アルメニアン・ダンス≫となってまとまって、世界中の人に聴かれている。
それを実現したのは、ガチガチのクラシック世界でもなければ、ナントカ協会とかいう大組織でもなかった。意外や、「吹奏楽」が、コミタスの遺志を継いだような結果になった。
そのことを、私たち吹奏楽を愛する者は、もっと誇りに思っていいのではないだろうか。そして、≪アルメニアン・ダンス≫を聴いたり、演奏したりする時、「あの部分の演奏がむずかしいんだよなあ」なんて批評はやめにして、もっともっと、コミタスのことや、アルメニアの悲劇を実感するべきなのではないだろうか。
それほどの価値がある名曲だと、私は思うのだが。

