第2回 《ドラゴンの年》とウェールズ
イギリスの国旗は、イングランド(赤十字)、スコットランド(白×字)、アイルランド(赤×字)の、3つの地域の紋章を組み合わせてデザインされている。
イギリスは、連合王国である。正式には「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」という。このうちの「グレート・ブリテン」を構成するのが、イングランド、スコットランド、そしてウェールズである。これら各地域の守護聖人の紋章を組み合わせたのが、現在のイギリス国旗「ユニオン・フラッグ」なのだ。
ここで、「あれ?」と思われた方もいるだろう。「ウェールズ」の紋章は、なぜ入っていないのか、と。白地と緑地をバックに、右前足を挙げた、赤いドラゴン。これこそが、ウェールズを象徴する紋章なのだが、このドラゴンだけが、イギリス国旗には描かれていないのだ。
6月18日(金)、横浜みなとみらいホールにおける、シエナ・ウインド・オーケストラ第17回定期演奏会で演奏される、スパークの《ドラゴンの年》。近年、大人気の名曲だが、特に、初演地イギリスでは、熱狂的とも呼ぶべき人気を獲得している。もちろん、音楽としての素晴らしさがそうさせるのだが、背景にある、イギリス国旗とドラゴンにまつわる物語があるからこそ、多くのイギリス人が熱狂したことも忘れてはならないだろう。
********
ウェールズの歴史は実に古い。紀元前5世紀頃に、鉄器を携えてブリテン島に渡ってきたケルト人が先祖と言われている。ケルト文化の独特な味は、皆さんもご存知だろう。吹奏楽界でも、ハーディマン《ケルトの叫び》、グレイアム《ゲールフォース(ケルトの力)》、ウィーラン《リヴァーダンス》など、ケルト音楽にちなんだ曲が大流行中だ。どれも、野性味と上品さがうまく混合しており、一度聴いたら忘れられない魅力がある。
その後、古代ローマ帝国を皮切りに、ブリテン島は続々と外部からの侵攻を受けた。これに対抗したのが伝説のアーサー王である。彼は、昔ローマ軍が持ち込んできたドラゴンの紋章を気に入り、自軍の紋章にしていたらしい。しかし、ケルト人たちは、結局、ブリテン島の西端に追いやられ、ひっそりと独自の文化を育むことになる。これがウェールズの原形である。
13世紀末にウェールズ最後の王子が亡くなると、イングランドへの併合が始まり、16世紀には、完全にイングランドに統合された。ケルト語は禁止され、英語が公用語となる。
現在のイギリス国旗のデザインは1801年に制定されたものだが、その時点で、表向きウェールズなる国は存在しなかったから、ドラゴンの紋章が加えられることもなかった。
だが、ウェールズ人は忘れていなかった。アーサー王が残した「我々は、必ず戻ってくる」なる最期の言葉を。人々は、学校で英語を話し、家庭ではケルト語を話した。赤いドラゴンを、様々場所にシンボルとして掲げ、守り抜いた。
彼らの地道な努力が実って、1959年、ドラゴンの紋章旗が、ウェールズ大公旗として認められた。1967年には、ケルト語がウェールズの併用公用語として復活した。音楽を中心に、様々な文化芸術も、世界に広く知られるようになった。ウェールズの独立も何度か提唱されてきたが、これは実現してない。そして、せめて、ドラゴンの紋章がイギリス国旗に加われば・・・これぞ、ウェールズ人の最後の悲願かもしれない。
スパークの《ドラゴンの年》は、南ウェールズの名門金管バンド「コーリー・バンド」の創立100周年を記念して作曲された(1984年)。オリジナルは金管バンド版だが、すぐに吹奏楽版に改訂されている。そして1986年のヨーロッパ金管バンド選手権が、ウェールズの首都カーディフで開催された際、「デスフォード・コリアリー・バンド」が、この曲で優勝し、人気は一気に爆発した。その際のライヴ録音がCD化されているが、観客は、まるでサッカー競技場のような盛り上がり方だ。
《ドラゴンの年》は、あくまで純音楽であり、決して、ウェールズの独立や、ドラゴン旗のことを訴えているわけではない。しかし、ウェールズ人にとってドラゴンの存在は、かように重いのだ。そのことを知って聴く時、作曲者スパークがこう言っているのが感じられないだろうか、「我々は、必ず戻ってくる」・・・と。

