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アルフレッド・リードの伝説  REED LEGEND
第3回 《ジュビラント序曲》で始まった1970年代

文:富樫鉄火(音楽ライター)

時折、吹奏楽に関するコラムや解説などを書いていると、「1970年というのは、スゴイ年だったんだなあ......」と思わされることがある。

■大阪万博の年に......

 1970年といえば、日本では、大阪万博(EXPO70)が開催された年だ。最近、愛知万博が開催され、かなりの入場者数を集めたようだが、大阪 万博は、その比ではなかった。会期中、6400万人超が来場したのである。当時の日本人のほぼ半分だ(もっとも、この入場者数には、リピートもあるし、外 国人も含まれているが)。

 それに対して愛知万博は、「連日、大混雑」と喧伝されたわりには、ほぼ同じ開催期間ながら、たったの、約2200万人だ。大阪万博の三分の一である。この数字だけでも、1970年の大阪万博が、どれだけのイベントだったか、想像できよう。

 当時、私は小学校6年生だったが(東京在住)、学校の話題は「大阪万博に行ったか」で、持ちきりだった。夏休みに行くと混んでて大変だから、平日 に、学校を休んで、家族で行く者がいくらでもいた。先生が「今日と明日は、○○君は、万博に家族で行くそうで、休みです」と言うと、教室中から「え?、い いなあ?」と、溜め息が漏れたりした(私自身は夏休みに父親と2人で行って、ドエライ目に会ったが、あまりに本題から外れるので、割愛する)。

 この大阪万博の開会式で演奏された吹奏楽曲が、川崎優作曲《万国博マーチ》。のちに版元を変えて出版された際に、マーチ《進歩と調和》と改題されたので、いまは、そっちのタイトルで知られているかもしれない(大阪万博のテーマが「人類の進歩と調和」だったのだ)。

 大阪万博では、三波春夫が歌ったテーマ曲『世界の国からこんにちは』(島田陽子:作詞/中村八大:作曲)が、「超」のつく大ヒットとなった。TV もラジオも、朝から晩まで、ひたすらこの曲を流しつづけていた(ちなみに、作詞の島田陽子とは、同名の女優ではなくて、一般公募の童謡作詞家です)。

 だが、私には、「♪こんにちは?」と歌う陽気な盆踊り風の曲よりも、TV中継の開会式で流れていた《万国博マーチ(進歩と調和)》の方が、妙に印 象に残っていた。なぜかといえば、マーチというわりには、コンサート曲っぽい雰囲気があり(つまり、実用マーチとして、行進に使用するにはちょっとピッタ リこない)、モダンでしゃれたメロディなのに、どこか哀愁を感じさせるような雰囲気がチラチラして、子供心に「大人の音楽だなあ」と、憧れるに十分だった からだ。

 さてさて、本題からそれてしまったが、日本中が大阪万博で浮かれている1970年に、《万国博マーチ(進歩と調和)》もさることながら、ほかにも記念碑的な吹奏楽曲が多く発表されていた。

 例えば、櫛田テツ之扶【注1】の代表作となる《飛鳥》が、JBA(日本吹奏楽指導者協会)作曲賞に入賞したのがこの年(1994年に改訂)。ほかにも、小山清茂《吹奏楽のための木挽歌》も、この年に初演されている(それ以前は、管弦楽版として親しまれていた)。

 海外に目を向ければ、カレル・フサによる《この地球を神と崇める》が初演されているし(前年には、同じフサの《プラハのための音楽1968》が初演されたばかり。さらに、ネリベルの《二つの交響的断章》が初演されたのも1970年だ。

 そして、わがアルフレッド・リードの名曲《ジュビラント序曲》が初演されたのも、この1970年のことだった。

■黄金時代の始まり

 前回述べた《シンフォニック・プレリュード》を発表した1963年から、《ジュビラント序曲》初演の1970年の間に、リードは、10数曲の作品を発表している。

 その中で、後に日本でも盛んに演奏されたり、あるいは、現在でもよく知られている作品としては、《ミュージック・メーカーズ》(1967年初 演)、《イントラーダ・ドラマティカ》(1968年初演)、あるいは、多くのバンドがコンクール自由曲に取り上げた《サスカッチアンの山》(1967年初 演)【注2】、《パッサカリア》(1968年出版)などがある。

 実は、この時期に、ちょっと注目しておきたい曲が2つ、出版されている。《ロシアのクリスマス音楽》と、《金管楽器と打楽器のための交響曲》である。

 これらは、ずっと以前に作曲されていた曲だ。いわば「旧作の発掘出版」なのである。《ロシア?》は1944年に、《金管楽器と?》は1952年 に、それぞれ作曲・初演されていたものが、その後の改訂を経て、1968年になって出版されたものである。出版社は、ともにサム・フォックス出版。のち に、超名曲《アルメニアン・ダンス パート?》を送り出す出版社だ。

 なぜ、この時期に、古い作品が2作も出版されたのか。これはあくまで筆者の想像だが、この時期にリードの存在が、急速に音楽界で認知され始めた証左ではないだろうか。

 リードは、1966年に、ハンセン出版社勤務を辞め、マイアミ大学音楽学部の助教授に就任する。その年には、学生バンドの副指揮者として、ヨー ロッパ演奏旅行に出かけた(その途次、リードは、かねてより崇敬していたワーグナーゆかりの地を訪れ、おおいに刺激を受けている)。翌67年には、南米公 演も行い、ペルー国立音楽院から博士号を授与された。そして、マイアミ大学の教授職に昇進する。

 まさに、1960年代後半は、リードの人生にとって、黄金時代の始まりだった。それだけに、多くの出版社から、楽譜出版の要望が殺到したことは、 想像に難くない(もちろん、委嘱の依頼も)。しかし、いくらリードでも、そう次から次へと新作を書けるものでもない。そこで、要望に少しでも応えるべく、 旧作を発掘し、改訂を加えて正式出版したのではないか......そう思いたくなるほど、リードは昇り調子の時期だったのだ。

■そして70年代へ...

 1970年代のリードは、そんな時期を経て、《ジュビラント序曲》からスタートする。2006年1月13日に、神奈川・横浜みなとみらいホールで開催されるシエナWO第20回定期演奏会(リード特集)でも、演奏が予定されている名曲だ。

 この曲は、1969年に作曲され、翌70年1月に、テキサス州のサム・レイバーン高校バンドによって初演された(作曲者の指揮)。

 タイトルの「ジュビラント」(Jubilant)とは、直訳すれば「歓呼」「歓喜」である。もともと、賛美歌やクリスマス音楽によく使われる単語 で、アメリカ人には、たいへんなじみ深い言葉である。華やかな吹奏楽の世界にも、どこか通じるものがあるせいか、クロード・T・スミスの《ジュビラント・ プレリュード》、ヴァン・デル・ローストの《ジュビラス!》、スパークの《ジュビリー序曲》、ゴールドマンのマーチ《ジュビリー》等々、この単語を用いた 曲は枚挙に暇がない。リード当人にしてからが、のちに《ゴールデン・ジュビリー》というタイトルの曲も書いている。それらの元祖的存在が、《ジュビラント 序曲》なのだ。

 編成は、いっそう考慮されたものになっており、たとえば、前回までに述べた《音楽祭のプレリュード》や《シンフォニック・プレリュード》などと比 較すると、オプション扱いながら、コントラ・バスーンやバス・サックスが加わえられていたり、4番トロンボーンがバス・トロンボーンになっていたりと、全 般的に、低音部をさらに充実させようとした気配が感じられる。

 形式は「急?緩?急」の3部形式で、のちに、リードの、いや、多くの吹奏楽曲の典型的な形式となるこのスタイルは、ほぼ、ここで完成されたと言っても、過言ではないかもしれない。

 この曲が作曲された1969年後半は、リードが住むアメリカにとっては、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功し(7月)、沸きに沸いた年であっ た。8月には、歴史に残るウッドストック音楽祭が開催され、若者たちの社会に対する不満は頂点に達していたが、それでも、アメリカ国内には、あり余るエネ ルギーが充満していた。そんな明るいムードが、この曲には反映されているようでもある(それに対して、ヨーロッパでは、68年より、ソ連によるチェコ介入 が続いており、不安なムードが漂っていた。言うまでもなく、それを吹奏楽曲にしたのが、フサの《プラハのための音楽1968》である)。

 だが、1970年代に突入するや、時代は、一見華やかながら、確実に不安を生み出していた。70年にビートルズが解散。アメリカが介入したベトナ ム戦争は泥沼化を脱することができず、ようやく和平への道を模索し始める。「ウーマン・リブ」が世界中で流行語となり、翌71年になると、アメリカは「ド ル・ショック」に見舞われ、金・ドルが交換停止となった。そして「円・ドル変動相場制」に移る。

 この頃、《ジュビラント序曲》を発表し、明るい華やかさを吹奏楽で表現したばかりのリードの胸に去来したものは、何だっただろう。フサのように、 社会的不安を音楽で表現したのだろうか...しかし、リードの作品カタログをいくら眺めても、それを思わせる曲は、ひとつもない。ということは、リードという 作曲家は、世の中で起きている出来事などまったく気にならず、ひたすら自分だけの世界に閉じこもって、賑やかで明るい吹奏楽曲を書き続けていたのだろう か?

 いや、そうではなかった。リードは、ちゃんと、社会の動きを敏感に感じ取っていた。ただし、その表現方法が、フサなどとは違っていたのだ。

 70年代に入ってリードがたどり着いた世界は、シェイクスピアであり、悲劇の国アルメニアの音楽だったのだ。

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