コラム第3回「ロストロポーヴィチという男」
文:富樫鉄火(音楽ライター)
6月14日のシエナWO第19回定期演奏会(横浜みなとみらいホール)で、冒頭に演奏される曲は、バーンスタイン作曲の、コンサート序曲《スラヴァ!》である。
この「スラヴァ」とは、ロシア語で「栄光あれ」の意味。日本語の感覚だと「万歳!」ってとこだろうか。
実は、この曲は、1977年、バーンスタインの親友で、世界的なチェリスト・指揮者である、ロシアのムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927-)のために書かれた、コンサートのオープニング用序曲なのである。そして「スラヴァ」とは、彼のニックネームでもある。
このロストロポーヴィチとは、どんな人なのか・・・?
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彼は、1927年、アゼルバイジャンの生まれ。幼少よりピアノやチェロをおさめ、モスクワ音楽院では、チェロのほかに指揮も勉強した。
1940年にデビューし、たちまち天才チェリストとして注目を浴びる。またプラハやブダペストの国際コンクールでも優勝。1951年には、バッハ《無伴奏チェロ組曲》で、当時ソ連では最高の栄誉賞といわれていたスターリン賞を受賞。戦後は、レコードを通じてソ連国外にも名を知られるようになり、西側で有名になるや、パブロ・カザルスの後継者とまで称された。
プロコフィエフのチェロ協奏曲第2番、ショスタコーヴィチの2つのチェロ協奏曲、ブリテンのチェロ交響曲、ブリスのチェロ協奏曲・・・これすべて、彼が初演した名曲である。
そんな彼の名前が音楽界以外に広まったのは、反体制派のノーベル賞作家ソルジェニーツインを、4年にわたって自宅に匿っていたことが明らかになったあたりからだった。ソルジェニーツィンは、『イワン・デニーソヴィチの一日』や『収容所群島』といった小説で、ソ連の国家体制を批判し、国外追放処分をくらっていた。
次第にロストロポーヴィチの名は、単なる音楽家ではなく、人道・平和主義運動家としても、知られるようになっていた。ソ連当局に「芸術の自由」を訴える公開書簡を送ったりした。しかし、当然ながら、市民権は剥奪され、ソ連にいられなくなった。1974年には、夫人のオペラ歌手ヴィシネフスカヤとともに、ソ連を離れ、アメリカで、ワシントン・ナショナル交響楽団を指揮して、以後、素晴らしい演奏を披露するようになる。
しかし、彼は、母国を見捨ててはいなかった。1991年、ソ連で体制崩壊のクーデターが発生すると、祖国愛に燃えるロストロポーヴィチは、単身、モスクワに乗り込んだ。
そんな「熱い男」に、バーンスタインが送った曲は、演奏時間3?4分の小曲ながら、賑やかで楽しくて、明るくて愉快な、実に愉快な曲だった。後半には、ムソルグ スキーのオペラ《ボリス・ゴドノフ》の戴冠式の場面で歌われる「スラーヴァ!」のメロディも登場する。
作曲者バーンスタインも、ユダヤ人としての自分に、生涯、ある種の複雑な思いを抱いていた人だ。それだけに、故国を追われたロストロポーヴィチの内面に、どこか通じるものを覚えたのではないだろうか。
しかし、その思いを、妙に深刻な音楽にせず、ひたすら明るく表現したところが、バーンスタインのユニークかつスゴイところだ。まさに、ロストロポーヴィチの目指す、自由で明るい社会が、そこに描かれているかのようだ。
今回演奏されるのは、バーンスタイン作品の多くを吹奏楽版に編曲している、クレア・グランドマンのスコアであり、指揮は、バーンスタインの直弟子・佐渡裕である。
ロストロポーヴィチ-バーンスタイン-グランドマン-佐渡裕・・・この小曲に、これだけの音楽家が関わっていることを忘れずに、当日、このオープニング曲を聴いてみたい。
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