コラム第4回「よみがえる1974年」
文:富樫鉄火(音楽ライター)
1974年(昭和49年)に、何があったか・・・。
もちろん、生まれていなかった人にとっては、知るべくもないだろうが、この年、日本列島では、昭和戦後史に残る、様々な出来事が発生していた。
長嶋茂雄が、巨人軍を引退した。そして、この年、全日本吹奏楽コンクールの会場では、ある名前が、旋風を巻き起こしていた。アメリカの作曲家、ロバート・ジェイガーである。
元日本兵の小野田さんが、ルバング島から還ってきた。
田中角栄首相の金脈事件が暴かれた。
丸の内の三菱重工ビルが、過激派によって爆破された。
宝塚歌劇『ベルサイユのばら』が熱狂的人気を呼んだ。
山上たつひこの漫画『がきデカ』が大ブームになった。
森進一「襟裳岬」、山口百恵「ひと夏の経験」、
殿様キングス「なみだの操」が大ヒットした。
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いま、当時の記録を見てみると、ジェイガー作品を自由曲に引っさげて全国大会に進出したバンドが7団体もある。しかも、そのうちの4団体が、名曲《シンフォニア・ノビリッシマ》を演奏しているのだ。
全国大会だけで、これだけあるのだから、地区大会レベルまで視野を広げたら、おそらく相当な数の団体が、この年、ジェイガーを演奏していたことは、想像に難くない。
さらに気になるのは、全国大会で《シンフォニア・ノビリッシマ》を演奏した4団体のうち、3団体が、同じ課題曲を選んでいることだ。つまり、完全に同じ組み合わせの選曲で全国大会に進出したバンドが、3団体あったわけだ。
それは、高松市役所吹奏楽団(香川代表/銅賞)、福井銀行吹奏楽団(福井代表/銀賞)、瑞穂青少年吹奏楽団(東京代表/金賞)の、3団体である。
そして、彼らが選んだ課題曲が、河辺公一《高度な技術への指標》であった。
これまた、地区大会まで見れば、かなりの数の団体が演奏していたことだろう。
要するに、この年、課題曲《高度な技術への指標》+自由曲《シンフォニア・ノビリッシマ》を演奏した団体が、日本中に存在したはずなのだ(シエナのHPで実施された自由曲人気投票では、《シンフォニア?》は第3位だった)。
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《シンフォニア・ノビリッシマ》については、吹奏楽関係者なら、知らぬ者はいないだろう。しかし、若い人たちは、あまりご存知ないかも知れないので、簡単に紹介しておく。
ジェイガーは、1939年生まれのアメリカの作曲家。海軍バンド音楽学校で教鞭をとった後、いくつかの大学で作曲や音楽理論を指導しながら、多くの吹奏楽オリジナル曲を発表している。作曲賞の受賞も多い。
日本のファンでもあって、組曲《日本の印象》、広島のお寺の鐘に触発された《大地への祈り》、交響曲第2番《三法印》など、わが国に題材を求めた吹奏楽曲も多い。
《シンフォニア・ノビリッシマ》は、「高貴なるシンフォニア」なる意味で、1963年、当時新婚だった新妻に捧げられた曲だ。ジェイガーの名を一躍高めた傑作である。耳にに馴染みやすいメロディ、重厚な編曲、まさにジェイガーの作曲技術のすべてが盛り込まれた傑作である。
そして、これと"コンビ"を組んだ課題曲《高度な技術への指標》は、ジャズ・トロンボーン奏者、河辺公一の作曲(「浩市」の筆名もある)。
河辺は、東京音楽学校(現・東京芸大)を卒業後、「アーニーパイル」の楽団に所属していた。これもまた、お若い方はご存知ないだろうが、敗戦の昭和20年からしばらく、日本は、アメリカに占領されていたのである。その間、占領軍によって、日比谷にある東京宝塚劇場が接収され、「アーニーパイル」と名前を変えて、アメリカ兵のための専用慰安劇場にさせられていた。つまり、日本人が入れないシアターだ。河辺は、そこでトロンボーンを吹いていた(実は、「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」で知られる作編曲家・岩井直溥も、このシアターの楽団にいた)。
その後は、映画音楽やジャズなど、広い分野で活躍。吹奏楽曲も多く手がけるようになった。ちなみに、競輪の専門家でもあり、多くの研究書(というか「指南書」)を出している。
この、課題曲《高度な技術への指標》は、タイトルだけ見ると、何やら、クリニック曲のような印象を受けるが、さにあらず。この曲の楽しさ、面白さをコトバで伝えることは不可能だ。聴いていただくしかない。
ただ、これだけは言える。作曲者が「アーニーパイル」で、アメリカ兵相手に音楽を奏でていた、それが奥底の根っこにある。こんな曲は、普通の日本人には書けない。日本にいながら、「アーニーパイル」で、事実上の本場アメリカ・ポップスやジャズをやっていたからこそ、書けた音楽だ。
12月20日のシエナWO定期演奏会では、《高度な技術への指標》と、《シンフォニア・ノビリッシマ》が、続けて演奏される。
まさに、1974年のコンクール会場が、再現されるのだ。2曲とも、作曲年代こそ古いが、時空を超えて聴き継がれるにふさわしい曲だ。もしかしたら、時代は一巡して、1974年のあの日から、また新しい時代が始まるのかもしれない。
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